2012年03月26日

スポーツを続けたいが足を怪我した

私はあるスポーツを続けているのですが足を大怪我をして手術しました。
1年のリハビリを経て復活したのですが、痛みがあり思うようにできません。
これから先そのスポーツを続けていけないんじゃないかと不安ばかりでしたが、
その不安に焦点を当てていることが不安な現実を呼び寄せていることが分かりました。
だから私の本当の願い、とにかく安心して楽しんでいることを先に感じようと思い、
それを感じるようにしました。
するととてもワクワクな幸せな気分になるのですが、歩いてるだけで足にピキッと痛みが走ると、
とても不安になり、でもそれを打ち消してワクワクを感じ、でもまた痛み・・・
こんなことを繰り返しています。

問題や悩みは私がそれについて思考することによってのみ支えられている、とのことですが、
痛いかもしれない、とビクビクしてるから痛むというのはなんとなく分かります。
でもワクワク楽しい気分のときでも痛みは走るんです。痛みのない安心した状態になるための
何かアドバイスいただけませんでしょうか。
Unknown (画家)
2009-03-20 17:34:29

嫌な感情が来たとき、それを感じるように、とよく言いますよね。
実のところ、我々は無意識に嫌な感情に対し戦いを仕掛けてきました。
ずぉーんと嫌な感情が来たら

「そんなことはない」

と嫌な感情を否定できる何かを探しに行く。
見つかったらそれで抑え込む、ということで対処しています。
自分の思考がどういう動きをしているのか、見るとよく解ります。
必死で応戦できるネタを探していますw
この方法のロジックを見てゆきますと、

嫌な感情→抑え込む→優勢に立つ→これで対処とする

この抑え込み、あるいは優勢に立ち対処する、とは暗に
「嫌な感情」の存在証明を補強している、支えている、と言うことになります。

嫌な感情があるから→抑え込む。

無ければ抑え込むこともないのですから。
これが感情に対する戦いです。
嫌な感情を押す潰そうとするわけです。

例えば、

「おまえは無価値だ」

と言われ、それでもし嫌な感情が来たとしたら自分のこころのどこかで多少なりとも

「私は無価値かもしれない」

と思っているわけです。
(無価値という観念に呼応し、感情が湧いているわけです)

で、その感情に対し、

「いや、そんなことはない、私には○○ができる」
「私には○○がある」
「私には○○という実績が・・」

と延々、その感情を抑え込むために感情に対し自分の価値を使って「反撃」をするわけです(笑)
で、これは非常に疲れます。※1


また他の楽しいことを考えてやり過ごそう、と思ってもそれさえ「反撃」になってしまい、
かつ、嫌な感情が居座っているのでなかなか楽しい空想など湧いてこない場合がある。

「はぁー やっぱりダメだ・・・・・」

みたいな感じになる(笑)

この○○という攻撃(或いは防御)は「私は無価値かもしれない」という感情がないと
必要なかったもの。
つまり○○を使って攻撃する、せざるを得ない、ということは逆に
「私か無価値かもしれない」という感情をいつまでも支えてしまうかもしれないわけです。

このロジックを破る方向が「感情を感じる」ということです。
嫌な感情をその感情自身で枯らせる。
他の方法を用いない。

実のところ、何かのきっかけで、ずぉーんと嫌な感情が来たらそれはラッキーチャンスです☆
それを変化させるまたとない機会なのです☆
大喜びなのです☆
えらいことです☆
(もうええっちゅうねんw)

Unknown (画家)
2009-03-20 17:35:01
(つづき)

コツを書いてみます。

まず感情に対し抵抗しない、反撃しない、不戦宣言をする。
目を閉じて普通の呼吸でその感情を感じる。
何を感じても結構。全て許す。

すると胸の辺りとか鳩尾(みずおち)のあたりとか、或いは背中、首、などとにかく
身体反応が来る。
重くなったり熱くなったりぞわぞわしたり強張ったり。
で、それをじーーーーっと感じておきます。

で、それが動き始めますのでその動きさえじーーーーっと感じて(見て)おく。
で、動きが止まったら手のひらや指先でその箇所をトントン、パンパンと数回軽く叩く。
ナデナデ、スリスリしてもOK。
で、また感情を感じる。

するとどうでしょう。
暫くすると戦いを挑まないのに、やっつけないのに嫌な感情が勝手に薄らいで行きます。
その感情に捕らわれていたときには考えもつかなかった楽しい思考がポッと働き始める。

これを知ったが最後、読んだ方はもれなく、今後どんな嫌な感情が来ても全て

ラッキーチャンス♪w

にならざるを得ないのです☆
アタックチャンスじゃないですよw
アタックはしませんですw
これが解れば「嫌な感情、いつでもいらっしゃ〜い♪」みたいな気分で居られますw


「お前は馬鹿だ!」
「んなこたあねえ!今に見てろ!」

みたいなノリは大好きです。
力も出ますし。
でもこの方法では対応きついな、と感じた場合、「感情を感じる」
ということを覚えておくのも一休さんの知恵ですw
まあ一種の気分転換くらいのノリでなさるといいと思います。


※1
このような場合はおおむね累加的価値が使われることが多い。
故に無価値感が強い場合、それを屈服させるべく累加的な価値を追いかけてしまうケースもある。
ライセンス、地位、財力、名誉など他より優勢で居られるアイテムが多く用いられる。
概ねいくらそれらの条件を揃えても依然無価値感は消えず、思わぬところで馬脚を現すことがある。
勿論、ライセンスや地位、財力、名誉自体が問題ではない。
不足を補填するために用いられると不足を支えてしまうことになりがちである、と言うわけである。


Unknown (108)
2009-03-20 17:35:26
108★:2009/03/07(土) 02:41:13 ID:???0
>>70

> とても不安になり、でもそれを打ち消してワクワクを感じ、でもまた痛み・・・

不安を打ち消したりしない方が良いです。
不安になった時点で、それはもうあなたの元に来ている感情なのだから、
シッカリと感じてしまった方が良いと思います。
(「感情を感じる」については、このスレでも頻繁に語られています。
 特に画家さんによる>>221-222のガイドを参考にしてみてください。)

> でもワクワク楽しい気分のときでも痛みは走るんです

それは当然です。
あなたが本当に目覚めて「怪我など無い」ということに気付いたのでなければ、
あなたが設定した現実の条件は急になくなったりしません。

逆に言えば、あなたが目覚めて「怪我など無い」ということに気付けば、
怪我は一瞬で完治します。
いや、完治しますという言い方はおかしい。
元々無いのだから、本来の状態が現れてくるだけです。

あなたの怪我というか後遺症は、何も意識的な思考活動によってのみ、
支えられているというわけではありません。
その背後にある様々な条件付けによる錯覚によって、
もっと大規模に支えられている。

あなたは怪我をして、手術をした。
これはあなたにとって確固たる現実。
れから先そのスポーツを続けていけないんじゃないかという不安。
これもその現実から来る当然の感情。
歩いてるだけで足にピキッと痛みが走る。
これも、怪我の程度と治癒状態からみて当然の反応。

…のように思えます。

突然、突拍子もないようなことを言います。
分からなくても良いので聞いてください。

あなたは怪我などしていません。
本当はそれも錯覚なのです。
ところが「怪我をした」ということはあなたの中で疑いようのない事実。
もう既にここで「錯覚」が生じているわけです。
その錯覚も、それとは無関係に見える現実的な錯覚も、
極めて大規模に支えられているため、辻褄が合うように展開しているように見える。
物質的現象として、あたかも実際に起こっているように見える。
でも本当はそんなことは起きていないし、あなたは本当は健康のままなのです。

※これはチケット続編に書こうと思っている題材です。
 まだ今の段階では詳しく述べようとは思いませんが、
 ちょっと先取りして書いてみました。
 今は、そんな突拍子もないことがあり得るのだということを
 せめて頭の片隅に置いといてください。
Unknown (108)
2009-03-20 17:35:59
108★:2009/03/07(土) 02:42:45 ID:???0
さて、実際にはその錯覚を一気に解消できないのだとしたら、
あなたはどんな風にこの痛みに取り組んだらよいのでしょうか。

取り組む必要はありません。
痛みが来たら、痛みを感じてあげてください。
ワクワクすることで痛みを消そうと思っても逆効果です。
なぜなら、それは痛みから逃避するためにそうしているに過ぎないからです。
よって、逃げた分だけ痛みは負ってきます。

痛みをシッカリと受け取ってください。
ただし「本当は自分は完全な健康体なのだ」ということを、
信じられなくても良いから可能性として考慮しておいてください。
怪我も痛みも、歪んだ知覚から来る幻想に過ぎないということを。

痛みが来たら拒否しないで、愛情を持って接してみてください。

「これが私の復帰を阻止しているものなのだ」

こんな風に敵視しないで、労るように接してあげてください。
その上で、

「私はなぜ、この痛みを経験しようとしているのだろう?」

問いかけてみてください。
病気もですが、怪我もあなたの内面のある部分が反映されて現象化したものです。
まさかと思うでしょうが、あなたはあの時「怪我をしたかった」。
頭で理解できなくても、その理由があなたの中にあったということです。

で、あなたはその選択した経験をした。今もしています。
その理由がなんなのか、分からなくて構いません。
その時のあなたにはそうする理由があったということを
ただ、知っていればいいのです。

痛みが来たら、そんな気持ちで接してみてください。
そうか、これは私が経験したかったことなのだと。
つまり、歓迎して受け容れてあげるのです。

そうやって充分に受け容れた上で、
その痛みを胸の方にず〜っと持っていってあげます。
イメージでそうしてみます。
そして、その痛みを胸でただじっと感じてみます。
必要ならそれに対して愛を送ってみてください。
「ありがとう」と言いながら。

その痛みを経験しているあなた自身も愛することです。
分離が消えれば痛みは消えます。
posted by マダオ at 10:27 | 身体に関する事・過去 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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