2012年03月26日

私がいない場所での他人

108さん、いつもありがとうございます!
開設おめでとうございます!!

質問

他人は存在せず、他人は自分の影響を受けて見えているのであれば
私がいない場所での他人は、全く違う形をしているのでしょうか?

私がその出来事をあとで誰かから聞いたとしても、
それは私が選んだ出来事であるのでしょうか?
(真実はひとつではない?)


うまく質問できないのですが、
最近自分の目の前にあるものだけを楽しんでいればいいのだという
思いが強くなりました。自分のいない場所などにたいして
不安を感じたりする必要はないというか…

質問がうまく言えないのですが、
よろしければ教えて下さい。
Unknown (108)
2009-03-20 17:56:26
>>77

> 私がいない場所での他人は、全く違う形をしているのでしょうか?

あなたがいない場所では、他人は存在していません。

こう考えると、その人がいないときに、
その人について無駄な思考を働かせる必要もなく、
そのために様々な条件付けによって思い煩うという、不毛なプロセスを除外できます。

実際にも、あなたにとっての「他人」とは、
あなたが認識したとき、極めて主観的に「こうである」と認定しているだけの、
現象・振る舞いの一つの解釈に過ぎません。
あとで誰かから聞いた出来事についても同様です。

> 最近自分の目の前にあるものだけを楽しんでいればいいのだという
> 思いが強くなりました。自分のいない場所などにたいして
> 不安を感じたりする必要はないというか…

大変良い認識です。
おまけに言うと「自分のいる場所」に対しても、不安を感じる必要はありませんよ。

「あなたがいる」

これは誰にも変更することなど出来ません。
要するに、あなたは最強なのです。
他の方も同様です。

あなたが「在る」ということは、誰にも変更することは出来ません。
あなた自身にも出来ませんし、驚くべきことには、
それは神にだって出来ない相談なのです。

だから、たとえ今自分のことをどのように誤解して歪んだ認識で捉えていようが、
「私がいる」ということを、あなた方はもっと過大に評価して良い。
どんな人も、その事を相当な程度で過小評価しすぎています。
ちょっとどころではなく、相当です。

このことを少しずつでも理解し始めたら、
あなたはあらゆることに自由な権限を無限に与えられている、
最強な存在であるということが分かってきます。

だから「在る」ということを、考えられないくらい過大に評価してください。
それこそが、充足が無限に流れ込んでくる突破口なのです。
posted by マダオ at 11:08 | 多世界・他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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